【美術と私】なぜブログの中心に美術を据えたか

勢いで始めたブログ、いきなり挫折

ブログを始めたきっかけ

2019年の暮れから2020年の現在にかけて、結婚、退職、新型コロナウイルスの感染拡大がいっぺんに私に降りかかった。
結婚と退職は自分の意志で決めたことだったが、当時の私は専業主婦になる自分など微塵も想像できていなかった。
そこに予期せぬコロナが重なって、私は急に思いがけず「家にいる人」になった自分を完全に持て余した。

未知のウイルスに怯えつつ、最低限の家事をこなしながら、私は確実に暇を感じていた。

ある日ネットの片隅で、「一般人がブログで情報発信するメリット」という記事を見つけた。

よく調べもせず、勢いで2月末にブログを始めた。
この時はまだ、コロナの拡大は序の口だった。
オリンピックも、まだやる気でいた頃だ。

「副業のホステスバイトで自尊心を回復したOLのブログ」

大学卒業と同時に上京し、就職した会社はブラック企業だった。
入社から1年が経過した頃、正社員なのにお金に困窮し、週2回ホステスのバイトを始めた。
そして東京で暮らす喜びを見出し、お客さんたちからアドバイスをもらいながら、ホワイトでもないが、グレーぐらいの会社に転職した。
ホステスのバイトは転職後も続け、結婚を決めるまでダブルワークで働き続けた。
お陰で、何があってもしばらくは落ち着いていられるくらいの貯金ができた。

そんな私の実体験をブログに書けば、週5で真面目に働いているのにもらえる給料が少なすぎるという女性にとって、価値のあるコンテンツになるかもしれない。
そんな考えから、「副業のホステスバイトで自尊心を回復したOLのブログ」を書き始めた。
これは、現在はもう見ることができない。

私が黙々と書いている間に、世の中には大きな変化が起きていた

毎日1記事投稿すると決めてブログを書き始めた。
やらなきゃいけないことがあるって、なんて充実しているんだろう。
読んでくれる人も少しずつ増えてきて、楽しくなってきた!
約1か月間くらい、「より良い記事」を追求して書き続けた。

しかし、3月末頃、コロナの感染は全世界に広がり、日本では接待を伴う飲食店が営業自粛を余儀なくされた。
ホステスという、普遍で究極の接客業だと思っていた職業が、大きな変化を強いられることになった。

コロナが流行る前と後は、もはや違う世界

そう、私はホステスという職業が、普遍で究極の接客業だと信じていたのだ。
だから私は、今は引退しているにも関わらず、ホステスという仕事について未経験者向けにあれこれ書けると思っていたのだ。

しかし、コロナの影響でたくさんのお店が閉店し、緊急事態宣言が解除された今も東京の多くのクラブ、キャバレーなどが営業を自粛している。
私が勤めていた都内の店も、まだ営業自粛中だ。
これを機に水商売を上がったホステスの話も多く耳にした。

大昔、人間が裸から服を着始めた時のように、これから人類が人前でマスクをすることが当たり前になるかもしれない。
ホステスがフェイスシールドをつけて接客するクラブが当たり前になるかもしれない。
ホステスという職業がなくなることだって、あるかもしれない。

それはさすがに杞憂であってほしいが、未知のウイルスに対する有効なワクチンがまだ無い今、これから世界がどうなるかは誰にもわからない。

コロナ流行前にホステスを引退している私が、コロナ以後のホステスに向けて伝えられることなど無い。
とりあえず、今困窮しているOLさんに副業としてホステスをオススメするかと言ったら、できない。

そう気づいてから、一切記事が書けなくなった。

私の人生で、これからも一生続くことってなんだろう

私はこの先何を書くべきか

ブログを書くのはとても楽しい。
同じように何かを発信している人と仲良くなったり、誰かが読んでくれて反響があったりすると、自分の存在がほんの少し、くっきりする。
せっかく楽しいと思える暇つぶしに出会うことができたのだから、続けていきたい。
過去の経験ではなく、これからのことを書いてみよう。
私の人生で、これからずーっと続いていくことってなんだろう。
それについて書くことができたら、ひょっとして死ぬまで続けられる趣味になるかもしれない。

結局美術に回帰した

ここで突然自己紹介。

の、前に父の紹介。
私の父はとても芸術が好きな料理人だ。
若かりし頃、父は美大に行きたかった。美大は美大でも東京芸大に行きたかった。
現役、一浪、二浪、三浪と順調に落ちて、次落ちたら店を継げ、と祖父に言われ、落ちて地方で料理人になった。

父は私が幼い頃から美術館に連れて行ってくれた。
父に遊ぼうと言うと、高確率でお絵かきだった。
いつだったか、母から父が美大を目指していたことを聞かされた私は、勝手に美大を目指すようになった。

家から通える地方の国公立美大だったが、私は現役で合格した。
家族みんなが喜んでくれた。
そして美大生になってから、自分に作りたいものなんてひとつもないことが判明した。

ーそこからのゆるーい地獄の日々はまた機会があればどこかで書くとしてー

美大生になった私は「展覧会を観に行かなければいけない人」になっていった。
とにかく全部の展覧会が観たかった。
いや、観たかったわけではない、観る必要があると思っていた。

地方から足をのばして関東、関西を中心に各地の展覧会を観に行くようになった。
その習慣は卒業後も抜けず、私はブラック企業のOLになってからも、ホステスのバイトを始めてからも、美術関係の仕事に転職してからはますます、常に「観に行かなければいけない展覧会」を膨大に抱えていた。
実際に観に行けた数はともかく、「観に行かなければいけない」という感覚だけはずっと変わっていない。

緊急事態宣言中も、美術館やギャラリーの展示状況ばかり気にして一喜一憂していた。
やっと気づいたが、私は「展覧会を観に行かなければいけない人」なのだ。

素直に美術が好きと言い切れないまま生きてきたので少しためらうが、観た展覧会の記録をブログに書いていくことが、今後もずっと継続可能な自分の発信になるのではないか。

コロナ以後の美術

ホステスという職業が、コロナ以前と以後で全く違うものになりうるように、美術もまたコロナ以後に同じであることはあり得ない。
そこに今私は最も興味がある。

3.11の時も、それ以前と以後では作家が美術に込める意味は強く変化した。
それと比べる対象ではないが、今回コロナの拡大は日本やアジアだけでなく全世界に及んでいる。
全世界のアーティストが、人生初の体験の中で、今何をすべきかを考えている。
鑑賞方法もこれまで通りではなくなるだろう。
自分が生きていてリアルタイムで追える現代美術史の中で、これからの数年間は確実に興味深い時代になるだろう。
私は批評の術は持たないが、観て感じたことをなるべく素直に書き留めたいと思う。
(思えばこれまで、たくさんの貴重な展覧会を観たが、手元にはなんのデータも残っていない。)

暇と美

突如訪れた「暇」をさげすまずに愛でてみた

先のブログが行き詰まってきた頃に、夫が一冊の本を貸してくれた。
暇と退屈の倫理学』と題されたその本が、私に「暇」について気付きを与えてくれたことは間違いない。
(こんな世の中になった今、とてもオススメの本なので近いうちにブログにも書きたいと思う。)

専業主婦になってからの数カ月、無意識のうちに外で働いていないことに引け目を感じていた。
自分を卑下する形容詞として自虐的に「暇」という言葉を使っていたような気がする。
そのようなことに自覚的になれただけで、この本との出会いは大きな学びだった。

私は「暇」への固定観念を捨て、自分の望みについて考えてみた。
まずこの行為が、暇じゃないとできない。
そして、「美術」「美食」その他美しいもの全般に関しての欲求に気づいた。

そんな日々の気づきのひとつひとつを面白おかしく記録していきたいと思い、ブログタイトルを「暇と美」とした。

【おわりに】
たくさんの娯楽がある中で、このブログを読んでくださる方に心から感謝します。

2020年2月24日 岡本太郎美術館「第23回TARO賞」を観た帰りの筆者。コロナ前、最後に観た展覧会となった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました